1963-02-28 第43回国会 参議院 大蔵委員会 第11号
今変な、怪しげな支那料理屋に行くと、ときどき出しますが、目がつぶれるんじゃないかと、まずそういう警戒が先に立つものですから、将来どうですか、そういう意味で本格的な一の老酒を出すというような一体構想はありませんか。
今変な、怪しげな支那料理屋に行くと、ときどき出しますが、目がつぶれるんじゃないかと、まずそういう警戒が先に立つものですから、将来どうですか、そういう意味で本格的な一の老酒を出すというような一体構想はありませんか。
あのさめのひれを毎日々々支那料理屋に行つて、たら腹お上りになりましたら、それは例外として、まぐろの刺身のことでありますから、二きれか三きれ、多くても十きれくらいまでのことだろうと思いますので、そんな心配はない。
この制度に基きまして、日本側が司令部に対して意見の開陳を行いましたものが、約三百件ばかりありまして、大体は賛成の回答をいたしているのでありますが、そのうち十件ばかりにつきましては、たとえば当時は料飲業等も非常な制限をしたときでありましたので、外国人が支那料理屋をやりたいとか、あるいはアイスクリームをやるとか、あるいはぜいたく品の販売業務をやるというような事業につきましては、日本側といたしましては不賛成
なおそのほか発展いたしまして、千葉と横浜にある——横浜の方は万栄樓という支那料理屋であり、千葉においては稻毛の浅間屋というのがこの係を仰せつかる、かようにいたしまして、ほとんど饗応を受けざる者なしという状態だそうであります。この拂下げの問題は、東京財務部が所管であり、その上には管財局があるのでありますが、この局長以下がかような状態で、この会社から饗応を受けている。
あるいは次長、名前を言いますならば、井上という部長、それから佐藤、加納という次長、それから今札幌市の財務部長になつておる、当時東京財務部次長であつた日野という人、小田という東京業務課長、こういう人たちがあるいはマージャン会とか、書画鑑賞会とか、野球試合の会というようなことで多数招待を受けて、隅田川のもとにある隅田別館、あるいは中野のモナミというようなところ、あるいは横浜支部の財務部の連中は万栄楼という支那料理屋